63歳で世界大会準グランプリ👑仕事もプライベートもボロボロ💦自己肯定感も低かった私にもできた奇跡✨
投稿日:2024.04.25 最終更新日:2024.04.24
この記事は 9 分で読めます。
ミッションは見えない檻の中の女性解放、世界女性リーダー育成家、グランプリEikoと申します😌
人生を諦めかけた女性、人生を取り戻したい女性を全力で応援しております。
かつての私はとても自己肯定感が低く、母から全てを決められ「外の世界は怖い」と刷り込まれながら、
檻から出られず死んだような生活を送っていました。
しかし、海外へ飛び立ったことで人生が一変し、美しさと輝きを見出され、
世界タイトルと8桁を引き寄せることができました💓
そんな私のストーリーを紹介します。
その方法はコレ!!
成功を引き寄せるために、成功した姿をビジュアライゼーションしてください。
輝くには一歩踏み出して挑戦していきましょう。
目次
檻の中での長い生活
私は体が弱かったこともあり、いつも「目立っちゃいけないよ」「人と同じようにしなさい」と言われ続けていたので、
自己肯定感がとても低い子供でした。
長い髪の子に憧れていたのですが、母が乾かすのが大変だからと、ずっとちびまる子ちゃん状態でした。
中学校の部活も、高校も、全て母が決めていて、私はそんな母のことをずっと恨んでいました。
自分で決めたとしても、「外の世界は危ないよ、怖いよ」と言われていたので、
そこから全然飛び出せなかったのです。
そうやってずっと檻の中にいました😢
また、16歳から29歳まで付き合った男性がいるのですが、私自身がそういう状態だったので、
同じように私をコントロールする人と付き合ってしまい、DVなどもありました。
大学受験も失敗して、就職した企業も私に全然合っていなくて、
毎日計算ミスをして怒られ、耳が聞こえなくなり、声が出なくなり…。
そしてプライベートではその彼と付き合っているという状態だったので、
本当に死んだように生きていました。
その彼に別れを切り出された時に「もう生きていけない」と思ったのですが、
落ち込んでいたのにお腹が空いてきて「いや、死なないわ私」と思ったのです🍀
私の中では以前から海外に対する憧れがすごくありました。
「やっぱりこの人生を取り戻したい」と思い、母に内緒でニュージーランドへの語学留学を決め、
その後フィジーでバックパッカーになりました。
そこから私の人生は本当に変わったと思います。
衝撃的だったのは、たまたま知り合ったフィジー人の島に行った時のことです。
本当に電気も水もなく、食べるものは時給自足で魚を捕っていました🐟
それまで私は手を洗わないとご飯が食べられない、お化粧もしないと嫌、
虫がいるとキャーキャー言ってしまう人だったのですが、価値観が全く変わりましたね。
そしてバックパッカーとしてもう一度フィジーに戻り、
電気も水もない島で仕事をしていた時に、元パートナーと出会いました。
街で一緒に住んでいた時に妊娠し、病院に行ったらもう5ヶ月になっていました。
でも高齢出産ということもあり、フィジーで産むのは不安だったので、
一度日本に帰って産んで、それからまたフィジーに帰りました🐬
フィジーは本当に好きで、5年住んで「全部分かっている」と思っても、
いざ中に入ってみるとお金の感覚が全く違うし、みんながフィジー語で喋るし、
もう分からないから「英語で喋って!」と出て行ったら、みんなが追いかけてきたり…ということがありました。
その後、結局息子を連れて日本へ帰ってきました。
飛躍への覚醒
日本では学級支援員の仕事を13年間やったのですが、家庭教師みたいな形で英語も教えていました。
ちょうどコロナの時、たまたま広島の方が英語の無料の講座をやるというのがFacebookで出てきて、
そのゲストとして小熊弥生さんの名前がありました。
私は弥生さんの名前も全然知らなかったのですが、自分も英語を教えていたので、ZOOMに入ってみたのです。
そうしたら、弥生先生のエネルギーに驚きました😆
私も「このままで終わりたくない」という気持ちがあったので、
「私のこのエネルギーを受け止めてくれるのは弥生先生しかいない」という、
英語だけじゃなく精神的なものがあり、すぐに講座に入りました。
そこで気づかせていただいたのは母への感謝です。
もともと勝手に子供を産んで帰ってきた私をずっと家にいさせてくれて感謝はしていたのですが、
弥生先生の瞑想で「もう1回お母さんに感謝しましょう。」「もう1回」と言われた時に、
「母がいたから私がいたんだ」ということをより深く感じるようになりました💝
また、「ブロックはありますか?」と聞かれた時に「年齢のブロックがあります」と答えました。
私はそれまで自分の年齢を誰にも言っていなくて、サバを読んでいたこともあります。
とにかく年齢の話が本当に嫌だったのです。
でも、当時61歳だったので正直に言ったら、
「え!?それで 61だったら、あなたできるわよ」「それをみなさんに言いなさい、絶対できるから!」と言ってくださったのです🌈
まさか私がみなさんに美容のことを伝えられるなんて思ってもみませんでした。
感謝からの奇跡
ミセス・コンテストでタイトルをとった時のことです。
大会の前日に母が倒れて、「ここまで来たのに」「みんな期待してるのに」という気持ちがあり、
「タイトルをとれませんでした」と謝っている自分ばかり想像していました。
そうしたら弥生先生からメッセージが来て「あなたをねぎらってください」「あなたは弥勒菩薩ですから」という言葉と一緒に、
朝顔の写真を送ってくださったのです💞
それで私も一人一人への感謝があふれて、心が穏やかになりました。
次の日は心の曇りも一切なく、練習は全くできなかったのですが、
とにかく自分が大きいティアラでみなさんに「ありがとう」というスピーチをする姿をずっとビジュアライゼーションしていたら、
本当に再生映画のようにそれが来たのです。
弥生先生との出会いがなかったら、起業もしていなかっただろうし、コンテストも出ていなかったかもしれません。
本当に感謝しています🌷
グループコンサル、プレゼンライフコーチ講座など全部とって、大体170万ぐらいです。
昨年1年を振り返ると、トータルで1,500万円引き寄せました。
そして毎月7桁も達成させていただいております。
私の講座の方も、0期から7期まで、ずっと順調にどんどん続けさせていただいております🌟
輝きは社会貢献
私は広島生まれなので、世界平和をずっと考えていました💓
弥生先生も世界平和ということをずっと言ってらっしゃいます。
私は女性が輝いているだけで社会貢献だと思うし、輝くには挑戦することだと思います。
ただ一歩踏み出して挑戦していくということを一緒にやっていきたいと思っております💫
まとめ
自分をねぎらうことで一人一人への感謝があふれて、心が穏やかになります。
女性は輝いているだけで社会貢献になります。輝くために挑戦しましょう。