コレだけで“億”が来る部屋に早変わり!あなたの億力を呼び覚ます奇跡のアーティスト達をご紹介《後編》
投稿日:2023.12.09 最終更新日:2023.12.09
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なんと私より一回り以上上の78歳ですよ!
本当に年齢は関係なくて、
何歳からでも天命改革アーティストになれるということが分かります🎨
ということで早速弘依さんのお話を聞いていきましょう。
その方法はコレ!!
インナーチャイルドを癒して喜びの感情でい続けることで波動を上げていきましょう。
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全てが叶う❗️正しい”当たり前ゼロ感謝”の手順を大公開🙆♀️まだ引き寄せられないのは、あなたのやり方が間違っているから!?
目次
殻の中に閉じこもっていた幼少時代
フォトアーティストの小林弘依です📷✨
私は恵まれた環境にいながらも、
決して表舞台に出ることはなかった主婦でした。
しかし78歳にして億楽®インフルエンサーを受講し、
本来の自分を取り戻しました💕
近くに住むたくさんの親戚たちがいつも我が家に集まっていて、
笑いの絶えない家でした。
しかし、父は娘の私にはとても厳しかったのです。
「女はかわいければいい。女らしさが大切。女は結婚。夫に従え。女は文句言うな」
時代もあり、父はいつもそういうことを言っていました💦
そして他にもよく言われたのが、
「人様に後ろ指差されるようなことはするな」ということでした。
小さい時はその意味が分からず、
ふとしたときに罪悪感や不信感、恐怖感が生まれてきました😢
しかし私はとにかく、父に「よしよし」って愛されたかったです。
そんな家庭環境ではありましたが、
私はいつもラジオから流れてくる音楽に自然と身を委ねて踊っていました。
踊ると胸がキュンとして、心がときめく、
その感覚がもうたまらならないのです💗
小学校になると、
ちょうど近所に洋舞の先生がいたので、
習わせてもらっていました。
それでもやっぱり、
寂しさが誰にも受けられてもらえない阻害感とか罪悪感が
どんどん増していきました💦
「こうしたい、ああしたい」という本音を見せたら、
絶対に父や母の手がピシャっと来ることが分かっていたので、
従順な娘を装っていました。
厳しい環境で感謝を忘れてしまった自分
どうしても諦めきれず、高校を卒業する時、
ダンサーになりたいと父に伝えました。
しかし
「手足が長くて大きい人じゃないと見応えしない。
あんたは小さくて手足も短いから無理」
と拒絶されてしまいました💔
これは結婚の道を歩ませる父の口実だったわけです。
好きな人との結婚も反対されました。
私自身、そうやって常識や「こうあるべき」という考え方に
どんどん慣らされていっている感覚がありました。
でも、自由になるためにはどうしたらいいか?
と考えた時「結婚だ!」と思ったのです✊
そしてお見合いをして結婚しました。
しかし、嫁ぎ先はとてもしきたりの厳しい家でした。
自由を求めたはずの結婚だったのに、
姑の言いなりに動き、姑の機嫌を損ねないよう、
心を押し殺す日々となりました。
経済的には恵まれていましたが、
昔から持っていた不審感、孤独感が上乗せされたような状態でした。
でも、ここでもやっぱり私は幸せな妻を装っていました😥
家事が忙しすぎて、
幼少期のときめきなど失っていたことにさえ気づかない日々を送っていました。
そして自分の神経がどんどん病んでいきました。
私は幸せを装っているから愚痴るわけでもないのに、
周りから「感謝よね」とたくさん言われました。
それを聞くたび、
「感謝って何?なぜそんなことを言えるの?
私の心情を誰が分かるの?」
と感じるようになりました。
「私のことなんて分かってないのに、
感謝感謝って勝手に決めつけないでよ」
そのように、感謝なんて虫唾が走るほど
大嫌いになっていったんです😖
突然の宇宙からのメッセージ
今でこそ精神的な病というのはきちんと知られていますけれども、
当時は「おかしいんじゃないの」と言われてしまう時代だったので、
誰にも言えず、もう限界でした😭
自分しか頼れず、ただひたすら自分で自分を支え、
睡眠薬を飲んで眠る夜が続きました。
そんなある晩、不思議な体験をしました。
眠っていた時、
別の空間にワープしたような感覚が起きました🌟
そして、幼い頃に心ときめかせながら踊っていた、
あの感覚が蘇ってきたのです。
この感覚が何なのかわかりませんでしたが、
この感覚を覚えておけば、
きっと将来
「これがあの時の感覚に通じていたんだ!」
と分かる時がくるはず…
そう思ったのを覚えています。
そして結局は、
その感覚が私をアーティストに育ててくれました✨
そこから、ガラス、コンクリート、鉄板、あらゆる素材を使い、
手当たり次第にクリエイトしていくということを始めました。
夢にエジプトの文字のようなものが出てきて、
意味は分からないのですが、何だかそれが好きだったので、
それをコラージュして、炭を使ってストロークして…
そうしてできた作品が、
国際ヴェレーナというところに入選したのです🎉
初めて掴んだ自分だけの成功、しかし…
個展やグループ展を開催するうちに、
皆様に作品を手に取っていただくことを通して、
感謝することを少しずつ取り戻していきました💓
40歳頃、現在は廃校になっておりますが、
現代美術専門学校に入学いたしました。
そしてアメリカの女性写真家の自由な表現に魅せられ、
フィラデルフィアの大学で勉強しました👩🎓
英語もほとんどわからない中、
本を見ながら何とか勉強しました。
本当に必死でした。
そして帰国後、デジタルカメラで作品を作っていきました📷✨
作品はモノクロから世界がどんどん広がっていき、
私のイメージもどんどん広がっていく、
そして作品を撮ってそれを分解して、
また自分のイメージにクリエイトしていく。
それが本当に楽しくて、
あのときめきに変わっていったわけです💖
2004年から2014年まで、
10年続けて個展をしました。
その中で徐々に現在のスタイルを確立してまいりました。
そしてだんだん
「小さい作品ではなく、
自分に向き合ってじっくり大きな作品を作っていきたい、
自分のメッセージを込めて作っていきたい」
という風に自分が変わっていきました。
しかし、これからという時にコロナが猛威を振るい始め、
同時に私も体調が狂っていきました。
座骨神経になりまして、
歩くこともできなくなってしまったのです。
それで「このままの人生で終わっちゃうのかな」と、
自分がすごく惨めになりました。
かつての両親の言葉を思い出し、
「もう78歳だし、ここまででいいかな」
「あとは夫婦で楽しく過ごしていけばいいかな」
とも思いました・・・
しかし、やっぱりやりきれない感が残っていたのです❗
ようやく取り戻した本当の自分自身
その存在は本当にありがたかったです💕
億楽インフルエンサーも受講いたしましたし、
個人コンサルもしていただきました。
「あなたは宇宙と共同創造しているんですよ」
と言われた時は、全身鳥肌が立ちました。
「作品を通して地球を愛で満たし、人々を愛で癒すのですよ」
もぎ取られた天使の翼が78歳にして戻ってきた感覚です。
そして本当の自分自身を取り戻し、
これで終わりかと思っていたこの人生を、
また花咲かせることができたんです🌸✨
小さい時から持ち続けていた自分の殻を破り、
表に出て自分をアピールする勇気も持てるようになりました。
弥生先生とのコミュニケーションがなければ、
私はこのように登壇させていただくこともできなかったわけです・・・
個を殺されていた時の自分を思い出すと涙が出てきますが、
喜びの感情でい続けることが波動を上げていく
ということも教えていただきました。
そしてインナーチャイルドが
プンプンしているとよくないことが起きるということも学び、
インナーチャイルドを毎朝毎晩癒しました。
また、両親の言っていたことが、
私を愛するがゆえのことだったんだということを、
個人コンサルで教えていただいて、
心から感謝ができる私になりました😊
感謝と瞑想で向こうからやってきた幸せ
向こうからチャンスがやってきました😳
レピュブリック・デザールというフランスの雑誌に、
私の作品を4点ほど掲載したいということで、
Instagramからお問い合わせがあったんです。
「和の要素を基調にした幻想的な表現が、
フランスで高く評価されます」
という風な言葉をいただき、
また私の夢を大きく膨らませることができました⭐
そして
「瞑想するとこういう風にして宇宙から来るんだ」
ということを腑に落とすことができました。
先生に叱咤激励をいただきながら
日々を過ごさせていただいたおかげです。
そして、宇宙からダウンロードされた私の作品を
是非お届けしたいということで、
今回はクラウドファンディングという形にさせていただきました❗
手にされた方のお家が豊かになるよう意図して作っており、
運気アップ、金運アップ、次元上昇、天命覚醒
というエネルギーをそれぞれに入れております💕
皆様と共に愛と平和の地球を目指しましょうという思いで、
クラウドファンディングをさせていただきましたので、
どうぞよろしくお願いいたします。
勇気づけていただき、殻を破ることができまして、
本当にありがとうございました。
素敵なプレゼンテーションをありがとうございました。
たくさんの人が、
「年齢って本当に関係ないじゃん!私にもできるかも!」
という風に思っていただけたのではないかと思います。
ぜひぜひ、
アーカイブを何度も見返して
「私にもできるかも」という確信線を超えていってくださいね🌈
まずはインナーチャイルドを癒して、森羅万象に感謝しましょう。